こんばんは!
遊びにきてくれてありがとう。
今日は緑茶🍵とワッフル🧇ですぜ!
本日のごはん記録!📕
朝 スープ
昼 パリパリサラダ麺と肉まん
夜 うどんとワッフルと甘酒
✨朝活はちょこっと!
今日は写真や動画ではなくて、
ちょっとした気付きを書いてみようかと。
無駄に長くなったので続きにしまっておきますわよ。
以下、私個人の考えです。
最近、キャラクターの魅力について考えていました。
次元・性別関係なくかっこいいキャラクターと可愛いキャラクターがいますが
かっこいい存在の管理があまりにも難しい!
なんでや。という疑問から出た気付きでした。
可愛さも奥深いものですが、可愛い子って何しても可愛いんです。
転んでも可愛いし、撫でても可愛い。
ウィンクしても可愛いし、泣いてても可愛い。
可愛いは無敵であり、可愛いは正義。
形がどのように変わってもキャラクターという「素材」が変わらなければ柔軟に受け入れられる。
手で押して形を凹ませてみても、その手触りや柔らかさを尊いものと思える。
だからますます触りたくなるし眺めていたくなる。
同時に、凹んだ形もしっかりそのキャラクターであることを認知できる。
私は可愛いキャラクターを「クッション」としました。
んじゃ「かっこいい」は?
かっこよさというのはそこそこ繊細なもので、
「かっこよさを売りにしてるのに○○したのが無理だった」
「憧れだったのに思ってたのと違う」などなど、ちょっとしたことで幻滅してしまうような機会が多い気がします。
その人の中で無意識に理想像ができていて、可愛さとは違い「やってほしくないこと」が多いのかもしれません。
押して凹ませるのではなく、あくまでそのものを眺めて楽しむ対象。
ちょっとした衝撃でヒビができてしまう理想像。
試しに帽子を被せてみたり、花を持たせてみるような装飾で完結する。
私はかっこいいキャラクターを「彫刻」としました。
もちろんイレギュラーはたくさんあって、
たとえば桐生一馬のようなとんでもない男は、
彫刻のくせにハンマーでぶん殴ってもすごい弾力で跳ね返してくる。
公式でふざけてくれてるので、素材がクッションの彫刻になってます。笑
真島の兄貴はぱっと見クッションだけど、触ってみると中に美しい彫刻があることに気付く。
そう考えると逆で面白いかも知れません。
同じ考えを持ってる方がいらっしゃるかもしれませんね!
キャラクターの魅力を作り出すのも維持をするのも大変なんだなと思いました。
クッションはときめく素材に出会えれば辿り着くまではけっこう早いかも。
ただ形が比較的自由でも、素材を大切にしながら個性を出していくのが大変ですよね。
あんまり触りすぎると形が戻らなくなったり、飽きられちゃったりするかもしれない。
彫刻は作るまで途方もない時間がかかりますし、とにかく維持するのが大変です。
代わりに眺めてる人に「触ってみたい!けど触れない!」という夢を持たせられるので
触りやすいクッションより飽きられにくいかもしれない。でも作るのと維持が(以下省略)
憧れというものは可愛いかっこいい限らずあるものですが、
手が届くと途端に理想と現実のギャップに耐えられなくなって
片思いの時期が一番楽しかったとかそういうオチになったりするよね。
キャラクターは現実に干渉してこない永遠の憧れの存在。
だから「もし会えたら〜見かけたら〜」という夢をずっと楽しめる。
その夢を壊さないように、広げられるように、
慎重に維持していかないといけないんですね。
創作するってとんでもないんだなと感じました。
っていうただの素人の感想(気付き)でした。
創作しているとキャラクターが自ら動いてくれるものですが、
かっこいいキャラクターは作り手が意識するとかっこよくならないんです😓
憧れは作るのではなく、出会う存在なのかもしれない!
彫刻は平面の絵とは違い、
どこから見てもその繊細さや大胆さに心惹かれる美術品です。
触らずに眺めて、美しさを発見するのがいいのでしょう。
そう考えると桐生一馬マジで無敵すぎる。怖。
あえて完成されかけの彫刻を自分でぶち壊し、
中からトゲだらけのクッション(?)を引っ張り出してきて
「憧れ!?かっこいい!?バーーーーカ!!!」
とかなんとかやってるやべぇ英雄やら、
見た目特徴のないクッションだったけど
中から全てを拒む攻撃的な彫刻がクッションを引き裂いて現れる
キャベツ刑事とかもいますけど。
神々が作りし作品のキャラクター解釈は書いてるだけで面白いですね。
私も私の中で素敵なクッションと彫刻に出逢いたいものです!
憧れるぜ!